The Social Insight Updater

2010.11.12 update

“若者”はどこへ行った?

小谷 敏(大妻女子大学人間関係学部教授)

曰く。若者がクルマに興味をもたなくなった。
曰く。酒を飲まなくなった。
曰く。海外旅行をしなくなった。

彼らの行動は、4文字で言うならば「風林火山」。
疾(と)きこと風のごとく(何かが流行っても風のように過ぎ去って廃れていく) 徐(しず)かなること林のごとく(流行を仕掛け、煽っても静かなリアクションしかしない)掠めること火のごとく(商品や情報の送り手に何か不祥事があればネットを通じて一斉に攻撃する)動かざること山のごとし(どれほど消費マインドを刺激しても一向に動かない)

そんな若者たちの価値観を読み解く手だてはあるのか?
小谷 敏教授が解説する。

拡散する「若者」の定義

90年代のはじめ頃まで、「若者」とは16歳から24歳までと定義されていた。高校生から大卒で就職して1~2年までの人たち。子供と大人の過渡期にいるのが「若者」だった。しかし、就職氷河期が訪れてフリーターになる若年層が出てくると、「若者」の概念が拡散。フリーター調査では16歳から34歳を「若者」と定義しており、最近では40歳以下が「若者」とまで言われるようになった。
その原因として考えられるのが非正規雇用の増加である。非正規雇用が増えたことによって、「若者時代」の終わりがなくなり、結婚もなかなかしないという状況が生まれ、「若者」の終わりが延びるという結果になった。

ある年齢層を総称して「○○世代」と名付ける風潮は、戦後生まれの若者世代につけられた「団塊の世代」から始まる。「団塊の世代」から1980年代の「新人類・バルブ世代」までが戦後第1世代というくくりとなっている。 戦後第1世代というのは経済が右肩上がりで、非常に豊かな社会で順調に育った世代。就職に困るなどということは想像もつかなかった。
ところが、90年代に入ると「団塊ジュニア」が登場。戦後第2世代とも言えるが、この時期に日本の経済が下降線をたどり始め、就職難の時代に入る。「団塊ジュニア」は「ロストジェネレーション」とも言われており、現在30歳代の人たちを指している。 2010年代の若者たちは、「新人類・バブル世代」の子供たちにあたる。彼らがこれから若者になろうという時代であるから「新人類ジュニア」と呼ぶことができるだろう。

「新人類ジュニア」は、親世代が消費行動に熱心だったので、幼いころから物質的に豊かな世界になじんで育ってきた。母親たちはデパートの子供向けブランド服のバーゲンにわが子を連れて行き、10万円分くらいの服をまとめて買うというような、自分の若いころに経験した消費の世界に子供を巻き込んでいる状況である。
そのような環境で育った今の若者ではあるが、その消費至上主義的な影響を受けていないのが不思議である。それはおそらく幼いころに十分経験してしまった結果、すでに卒業してしまったと見るのが自然かもしれない。消費のセンスが成熟していると言ってもいいだろう。

今の若者は海外旅行をしなくなったと言われているが、その裏返しとして地元志向が強くなってきている。以前のように海外の華やかなところに憧れることがなくなっているのだ。
これにはいくつかの要因が考えられるが、まず首都圏人口の減少と関わりがあると考えられる。首都圏に人口が集中して飽和状態に近づくことで、90年代から人口移動が縮小傾向を示してきた。つまり、地方出身者は生まれた土地から動かないという状況になり、若者がその状況に適応してきたと言える。
メディアの発達も要因のひとつ。どこにいても求める情報が手に入る環境になった現在、あえて首都圏に住まなくてはならない理由はない。 そして、若者特有の承認欲求の強さも関係があるだろう。今の若い世代は金銭的な欲求よりも、親しい人から認められたいという気持ちが強い。であれば、不確定な人間関係の要素を含んだ都会で暮らすよりも、地元の親密な友人たちとずっと仲良くやっていきたいという気持ちが強くなるのは当然の結果と言える。

読者モデルはファッション誌の自爆装置?

インターネット、とくにmixiに代表されるSNSや、街頭で配られるフリーペーパーの隆盛によって、若者は情報というのはタダで手に入るモノだと思うようになっているが、それでもファッション誌だけは別だという認識があった。
しかしそれも数年前までの話。女子学生を観察していると、3~4年前までは雑誌の影響力が強く感じられたが、突然状況が変わった。それは、ファッション誌に読者モデルが多く登場するようになってからである。読者モデルは素人なのだから、わざわざ雑誌を買わなくても、街を歩けばいくらでもセンスのいい同世代の女の子を観察できる。雑誌に教えてもらわなくても、ファッション情報は街にあふれているのである。

その結果、ファッション誌は売れなくなった。読者モデルは雑誌の自己否定だと言えるだろう。
メディアの影響力は今後も弱くなっていくと思われる。それに替わって個人個人が情報を発信し受け取り合う口コミの影響力が強くなっていくに違いない。 若者たちはブランド品であろうがなかろうが、モノには飽きている。困ったことに情報にも飽きている。しかし、人と人との触れあいには飢えているように思えるから、それが商売になるのかもしれない。
mixiやプロフはまさに人のつながりで当てた商売だろう。 メディアは、以前情報を享受するツールとして考えられていたが、現在では相互に触れあうツールとして考えられるようになったことがいい気な変化だと言えよう。

ケインズの予言

1929年に起こった世界大恐慌のあと、経済学者のケインズがスペインのマドリッドで「わが孫たちの経済的可能性」というタイトルの有名な講演を行った。

今、モノが余っている。失業者が多くても、誰も物不足で困っていない。だから将来、自分たちの孫の世代になるとあまり働く必要がなくなるだろう。わが孫の世代は1日3時間も働けば十分な状態になっているだろう。

という内容である。
実際には現在でも労働時間は長いままだが、モノは供給過剰であり、必要なモノはすでにそろっていて、モノが売れない状況になっている。しかし、それでも働いてモノを作らなければならないからますますモノがあふれる。ケインズが言っているのは、自分たちの孫の世代になると経済は主要な関心事ではなくなっているということ。ケインズは1883年生まれだから、ちょうど団塊の世代がケインズの孫世代だということになる。

団塊の世代を含め、世界的なベビーブーマー世代というのは経済中心主義を強く押し進めてきた世代だが、ケインズの孫の孫にあたる団塊ジュニアを見る限り、経済は主要な関心事ではないというケインズの予言は当たっている。 承認欲求が強く、地元志向で物欲が少ない。消費行動から離れている若者たちの価値観は、景気が悪い時期だけのものであるというよりも、もって生まれた本性だと言えるのではないだろうか。

モノがあふれている状況が続けば、いずれ人間はモノを作らなくなる。そうすると、今あるモノを使い続けるためにリフォームやメンテナンス、リユースなどで回っていく社会になっていくかもしれない。それで一世代二世代は悠々生きていけるような社会になるだろう。
商品開発の発想も根本的に変えていかなければならない。リユース、リフォームが主流になれば、巨大資本で全国展開するのではなく、地域に根ざしお互いの顔が見える商売の形態に変わる。だから、地元志向はまさにそれを先取りしているとも言える。

アッカーマンが驚いたニッポンの男子

いつの時代も女の子に元気がないということは絶対にないと言えるが、最近の男の子はやはり沈滞している印象がある。子どもたちを見ていても、女の子は自由に育てられている。男の子はいい大学に入って、将来妻子を養うに足る収入を得るという時代錯誤的な観念のもとに育てられている。
アッカーマンが2000年代のはじめに日本の地方都市で高校生にインタビューをしている。その中で、男の子は「会社の奴隷になるしかない」と将来に対して暗い見通しをもっているのだが、女の子は「日本はイヤだから外国人と結婚してオーストラリアの広々とした自然の中で暮らしたい」とか「ビジネスウーマンとして世界を股にかけてバリバリ働きたい」と答えているのだ。アッカーマンは、これほど男の子に元気がなく、女の子が元気いっぱいな国は世界的に見てもない、と言っている。そんな状況が現在までずっと続いているようだ。

このような男女格差は消費動向にも現れている。女の子は夢を持っているから、その夢を実現するための投資に期待できるだろう。人脈を広げるために酒を飲みに出るだろうし、英会話学校に通い、仕事に就くために免許を取るだろう。その意味で、短期的には女の子は有望な消費者と言える。
しかし、男の子は夢がない。会社で奴隷として酷使され、家に帰れば植物のようにおとなしくこもっている。草食系ならまだしも、彼らは自分のことを「植物系」だと自嘲する。消費するポイントがない行動パターンなのだ。

10組の交際しているカップルに、このまま結婚したいか? というアンケートをとると、10組中7人の女の子は結婚したくないと答え、男の子は7人が結婚したいと答えている。男子は今の相手を逃すと結婚できないかもしれないという不安があり、女子は社会に出ればもっといい男と巡り会えるかもしれないと思っているようだ。これは2000年から1年おきにやっているが、毎回同じ結果が出る。
これからのマーケティングは女の子にターゲットを絞ったほうがはるかに効率がいいだろう。

※本記事は取材を元に作成。

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プロフィール
小谷 敏

小谷 敏

現在:
大妻女子大学人間関係学部教授
専門:
現代文化論
単著:
『若者たちの変貌』世界思想社 1998年
『子どもたちは変わったか』世界思想社 2008年
編著:
『若者論を読む』世界思想社 1993年
『子ども論を読む』世界思想社 2003年

 

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