The Social Insight Updater

2011.2.25 update

崩壊寸前。ニッポンの食卓

室田洋子(聖徳大学児童学部 教授)

ひとりで摂る食事ほど味気ないものはない。少なくとも昭和時代にはそう思われた。ところが、最近はどうも様子が違うらしい。ひとり暮らしならまだしも、家族が食卓を囲んでいても、それぞれ別々に好きなものを勝手に食べている。

家族の食卓には、それを疑問に思う母親も、ブチ切れてちゃぶ台をひっくり返す父親もいないのだ。

家族団らんはもはや死語なのか? 発達心理学、臨床心理学を通じて「食卓」の問題に関心を寄せる、聖徳大学児童学部教授・室田洋子氏に聞いた。

体験機会の減少が生む孤立化

文部科学省が実施した平成21年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」によると、小中学校における不登校の児童生徒数は122,432人と発表されている。
数字だけを見れば2年連続で減少しているが、小学校では全児童生徒の0.32%を占め、その割合に変化はない。また、中学校でも2.77%の生徒が不登校で、36.1人にひとり、つまり1クラスにひとりの不登校生徒がいる計算になる。
不登校にはさまざまな要因があるだろうが、ひとつ考えられるのは、知識や情報は膨大にあるのにもかかわらず、具体的な生活技術に乏しく、知恵が働かない状況に早くから置かれている子どもたちの環境にあるのではないだろうか。
実体験が少なく、頭でっかちになっているのだ。そのような状況で、何か単純な困難に直面しただけで、すぐに立ち往生してしまうことになりやすい。
これは小中学校の児童生徒ばかりではなく、高校生も一連の同じ流れの中に置かれている。さらに、若い親世代も同じ状況に陥っているだろう。ノウハウは数多くもっているが、自ら作り出す体験は非常に少なくなってしまっているために、少し問題があると簡単に物事に行き詰まってしまい、孤立化してしまうのだ。

中高生を含めた今の若者は、空気を読むのがうまいとよく言われる。若者の間では、空気を読まなければ、すぐにはしごをはずされてしまう。
若者ではないが、昨年の鳩山由紀夫元首相のような状態と言えばわかりやすい。つまり、あちこちに気を配りすぎるために自分なりの一歩を堂々と踏み出すことができない。このような生活体験になっているために、空気を読み続けている。そして、空気を読まない人に対しては、非常に冷ややかな態度をとるのだ。
幼稚園の児童でさえ、周囲の顔色を見て行動している。この傾向は、出生数が2人以下になったころから現れ始めた。
社会というのは、3人以上の集団で構成される。だから、子どもの数が3人以上だった時代には、親が関わらなくとも子どもたちだけで社会が成り立ち、その中で人間関係を築いて問題を解決していた。しかし、子どもの数が2人以下では、家族の中で子ども社会が成立せず、子ども同士でコミュニケートできる環境が急激になくなってしまったわけだ。

寂しい「孤食」から気兼ねない「個食」の時代へ

家庭内の子どもだけで社会が成立しなくなってしまった今、それを補うために親が関わらなくてはならなくなった。
以前であれば、5、6人の兄弟が最小単位の社会を構成し、仲間との関わり方や上下関係を築くことができていた。しかし、社会の最小単位として家族を捉える場合、親も含めなければならない時代になってしまっている。
それを考えると、家族の中でお互いが関わることができる場というのは、食卓以外になくなっているのである。しかし、このいわば家族団らんの場も、大きく変化している。 たとえば3人家族で、父親は仕事で早く家を出、母親もパート勤めに出るという場合、朝の食卓で団らんする、家族同士が関わるということが省略され、ただ食事を摂るだけの場になっているのだ。
話をしたり、聞いたり、また聞いてもらったりという機会がない。家族の間で話すというのは、たとえ会話に加わらなくても、自分以外の家族がしている話を第3者として聞いているだけで得心したり、情報が得られ、またたとえば「お母さんはこういうのが嫌いなんだ」とか「お父さんはああいうものを素敵だと思っているんだ」など、判断のモデルも得られる。
情報はメディアからも得られるが、判断モデルはごく身近にいる人間、自分の好きな人間から得られるものだ。そのチャンスがなくなってきていることが大きな問題と言えるだろう。

最近は「個食」という呼び名が定着し、スーパーやコンビニでもひとり分がパックされた総菜が売れている。私が調査を始めた20年前は、「孤食」と表記され、家族のそれぞれが忙しく、ひとりずつ食事を摂っている状況を表現していた。
ここに当時の子どもが描いた絵がある。テーブルの端に小さくなって座っている子どもは、「気がついたらここ何日もひとりだけで食べているけど、どうして? これ本当じゃないよね?」というメッセージを送っているのだ。
こういう状態を「ウソだよね?」と思える子どもはまだ健全である。しかし、ここ数年で子どもが描いた絵では、ひとりで食事をする子どもの姿がテーブル上で大きくなっている。「これが自分にとっていちばんいい状態」となってきていることに問題があるのだ。さらに、布団の中で食事をしている絵に「僕のご機嫌のお食事」とコメントを添える児童まで現れている。
このような状況を文字で表したのが「個食」である。食事はひとりのほうが気兼ねなくていい。好きなものを好きな時間に食べられるし、何を食べても行儀が悪くても怒られないという状況だ。
しかし、それは勝手ということでもある。それが後々、生活すべてについて勝手になっていく。公共の場でも勝手。社会的礼儀も勝手。自己中心主義がまかり通り、社会的なチェックなしに自分の行動を前面に出してしまうという状況が大人にまで拡がってしまっている。これは文化的破壊状態と言ってもいいだろう。

「個食」の環境に育った子どもは、成長して大人になってもその習慣を変えることができない。「これは変則なんだよ」ということを示してくれる大人の関わりがないまま育っては、その間違いに気づくことはできないだろう。
本来の食事は、材料の皮を剥いてつぶしたり、まるめたり、家族みんなで一緒に作った料理を「おいしいね」と言って食べるものだ。最初にコンビニやスーパーで買ってきた総菜の味を覚えてしまうと、濃くて刺激的な味になじんでしまうから、大人になってもその味を求め続けてしまうのである。
コンビニで売られている総菜が、たとえ「おふくろの味」「手作り」と謳っていたとしても、そもそも「おふくろの味」を知らないのだから、理解できないだろう。

※本記事は取材を元に作成。

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プロフィール
室田洋子

室田洋子

現在:
聖徳大学児童学部 教授
専門:
発達心理学・臨床心理学(臨床心理士)
著作:
『子どもの教育相談室』金子書房 2004年 (共著)
 
『こっち向いてよ 食卓の絵が伝える子供の心』幸書房 2004年 (単著)
 
『心を癒す食卓』芽ばえ社 2003年 (単著)
 
『心を育てる食卓』芽ばえ社 1995年 (単著)
 
『食べない食欲のない子はなぜ』芽ばえ社 1990年 (単著)
 
…他多数

 

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