The Social Insight Updater

2011.2.25 update

マーケットは需要のラベルとなる「コトバ」を求めている。

松井 剛(一橋大学 准教授)

最近よく耳にする“女子”“男子”という言葉。例えば、飲食店は“女子会プラン”を提案して新たな機会を提供し、メーカーや小売は“弁当男子”“スイーツ男子”という言葉でターゲットを拡大させようとしている。

このように、ひとつ言葉があるだけで、消費者は消費に対して前向きになる。そして、その消費を牽引するキーワードのひとつに「癒し」という言葉がある。

今回は「癒し」の言葉が持つ効果について一橋大学准教授、松井剛先生にお話を伺った。

マーケットにおける「癒し」の世俗化プロセス

1999年にSONYの「AIBO」が発売されると、それが「癒し系」と言われ、2002年にタカラトミーから発売された「ひだまりの民」もまた「癒し系」ということで非常に売れた。さらには、ノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏までも「癒し系」だとしてもてはやされた。
「癒し」という言葉は人やモノやジャンルなど対象を問わず使われてきた。むしろ世の中が「癒し」という言葉の意味を成長させ、さらには「癒し市場」というマーケットさえ作りだしてきた。なぜこのような現象が起きたのだろうか。

「癒し」という名詞は『広辞苑』には載っていない言葉である。「病気や傷をなおす・飢えや心の悩みなどを解消する」ことを意味する「癒す」という動詞しか採録されていなかったのである。この動詞は、主に医療、宗教、スピリチュアルといった文脈で使われていた言葉だ。その際には「癒し」の英訳である「ヒーリング」という表現が1990年代に用いられることが多かった。「ヒーリング」とは、ドラックに頼らず、音楽や水晶、香りなど健康を維持しようというアメリカ西海岸で生まれた考え方である。
しかし「癒し」という言葉が急激に普及していく中で「ヒーリング」という表現が以前ほど用いられなくなり、その意味で変質し多様化していった。ターニングポイントは1999年である。この年に、坂本龍一氏の「energy flow」や「AIBO」が大ヒットし、「癒し」ニーズに応えたから売れたという報道がメディアで盛んに行われた。これを受けて、大手レコード会社が、テレビや映画などで使われているイージーリスニングを「ヒーリング・ミュージック」とか「癒し系音楽」などと銘打って『feel』(東芝EMI、現EMIミュージック)や『image』(SME)といったコンピレーションCDを相次いでリリースした。これ以降、様々な業界で、「癒し」を銘打った商品やサービスが売られるようになった。さらには、この言葉が広く使われるようになると、今度は「低俗」な意味でも使われるようになる。男性誌に掲載された「癒し系」グラビアアイドルのキャッチコピーなどである。その後、2000年代半ばから東京ドームシティの「ラクーア」や大都市圏のシティホテルでスパが相次いで開業すると、女性にとっての美や健康という文脈で「癒し」が語られるようになってきた。
現在では、「癒し」という言葉はニュートラルで空気のような存在になっている。2008年に10年ぶりに改訂された『広辞苑』に「癒し系」という言葉が「心を和ませるような雰囲気や効果を持つ一連のもの」という語義で新たに採録された。そこには動詞「癒す」が持つ意味は見いだせない。「癒し」の意味が大きく転換してきたことを示すシンボリックな出来事である。

面白いことに「癒し」は、その言葉が使われる領域が男性と女性の意味世界でうまく分離していた。雑誌での「癒し」という言葉の使われ方を分析すると、男性誌では「癒し系美女」などの表現が多く見られ、「女が癒し、男が癒される」という図式が明確であった。これに対し、女性では「カラダ」「キレイ」「美容」などの表現が目立ち、自らの肉体や精神を高める意味が強く表れていた。恐らく「癒し」に関して言えば、その言葉にまつわる意味世界が男女で分離していたが故に、互いの意味領域が汚されずに存在し、そして新たな意味が開拓されていったのかもしれない。

実態が言葉を求めたのか、言葉が実態をもたらしたのか

では、言葉が消費を動かすキーワードとなるには何が必要なのであろうか。
時代が求めていたから「癒し」という言葉が受け入れられたのか、この言葉が普及することで「癒し」に対するニーズを私たちは見出していったのか。つまり実態が先か言葉が先かということだが、「癒し」ブームの動きを見る限りでは、両方備わっていることが重要だ。
「癒し」に関して言えるのは、長い不況を背景として日常生活で新たなストレスが生み出され、「癒し」へのニーズが生まれたということである。その一方で、こうしたニーズの存在をメディアが大きく採り上げることで「癒し」が流行語となり、その「ニーズ」に適合するために企業が様々な製品やサービスを提供していった。つまり実態としての「癒し」ニーズが存在するのみならず、それに乗っかるビジネスを創り出されるころで、「癒し」への「ニーズ」が逆に創造されるという、相互強化のサイクルが生まれているのだ。

リーマンショック以降、「100年に1度の不況」などとメディアで喧伝されてきた。実は、データを見ると決してそうとは言えないという。しかし「失われた十年」とか「失われた二十年」と繰り返し言われ続けることで、私たちもこうした紋切り型の見方を採ってしまうようになる。世間で語られる雰囲気に自分を合わせることで、結果的に自らも不況の中で慎ましく消費している気になるということはあるだろう。

ある種の社会学者の間では、問題は実態からきているのか、言葉から来ているのかという議論がよくなされる。不況という実態論からの説明は、お金がないから気楽に消費が出来るわけがないという考え方である。一方でネガティブな言葉がセンチメントを創り出して人々の行動を萎縮させてしまうという考え方もできる。「癒し」という言葉も含めて、皆が弱気になる言葉が社会に提供されているが故に、予言が成就されるプロセスがあるのではないか、と。例えば、よく言われるピグマリオン効果もそのひとつだろう。人に期待をされたり褒められたりすると、その期待が成就されるように機能することだが、もしかしたらこのネガティブ版があるのかもしれない。

意味世界の開拓・拡大がキーワード化の要件

人はなぜ言葉によって消費を動かされるのか。
例えば頑張った自分へのご褒美(=セルフギフト)だと思うと、無駄遣い消費をする自分を説得させられる気がする。このようにある種の行為を正当化する言葉が普及することによって消費へのハードルが下がる側面もある。例えば「婚活」という言葉が広く使われるようになったことで、堂々とお見合いパーティに行ける。「ラーメン女子」という言葉があるおかげで女性が一人でもラーメン屋に行くことができる。もちろん普及しなかった例も多々あるが、言葉が生まれると必ず言葉に乗ったビジネスが生まれる。大学院生の研究によれば今は「ご褒美」に関するモノやサービスが非常に多い。サントリーの「プレミアムモルツ」がまさにその典型だが、例えば一見ストイックに見えるスポーツジムのプログラムの宣伝にすらも「ご褒美」という言葉が使われている。このようにある言葉が社会に多く出現してくると、徐々にナチュラルに思えてくる。それが現実の需要創造につながれば、結果として言葉の意味世界が広がったと言えるのではないだろうか。

次から次へと言葉が生まれて消えていく中で「癒し」は定着する言葉になった。しかし意図してそのようなポジションの言葉を作ることは難しい。なぜなら裏付けとなる実態とそれをわかりやすく表現した言葉の相互強化関係が生み出されなくてはならないからだ。例えば「癒し系グラビアアイドル」が載った雑誌を職場で読むこと、上司が女性に対して発する「そろそろ結婚しなくていいの?」という軽口は、かつては別の行為として考えられていただろう。しかし「セクハラ」という言葉が定着することによってこの2つは同種のものであると考えられるようになり、等しく非難される対象になった。こうした意味世界の変化は、実態と言葉の相互強化関係の末に成立したと思われる。このように考えるならば、言葉は私たちが世の中を理解するためのメガネであり、物事を仕分けるカテゴリーであるといえる。
社会学者のタルコット・パーソンズは「概念はサーチライトである」と言っている。言葉が「照らす」と、その言葉は流行り、世の中が変化するのだろう。

※本記事は取材を元に作成。

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プロフィール
松井 剛

松井 剛

現在:
一橋大学商学研究科 准教授
専門:
マーケティング、消費者行動論、消費文化理論、文化社会学
主な研究業績:
松井剛(2010)
「ブームとしてのクールジャパン:ポップカルチャーをめぐる中央官庁の政策競争」『一橋ビジネスレビュー』, 58 (3), 86-105.
 
松井剛(2010)
「認知プロセスとしての競争:文化社会学的アプローチ」『マーケティングジャーナル』, 116, 42-54.
 
Takeshi Matsui (2009)
"Gatekeeping Foreign Cultural Products: The Diffusion of Japanese Comics (Manga) in the US, 1980-2006," Paper Presented at Annual Meeting of American Sociological Association, San Francisco, August.
 
・・・他

 

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