2011.2.25 update
(横浜国立大学 経営学部経営システム科学科 教授)
低価格の反動なのか、最近はちょっと贅沢がもてはやされている。
プレミアム、プレミアム。落語のお題か念仏か。誰もがプレミアムを唱えているが、「プレミアムって何かね?」と文太じゃなくても言いたくなる。
果たしてコモディティ商品にプレミアム化はアリなのか?
横浜国立大学教授、白井先生に聞いた。
ブランド品への選好は失われてはいないものの、購買態度は下がっている。では、食品のようにコモディティ化が進んだ商品はどうか? 言うまでもなく、食品は低価格化が激しい。しかし、低価格では当然利益が少ないから、いずれは誰かが撤退するまで戦うしかない。同業者の間で消耗戦の様相を呈しているのである。 生き残るためには、低価格路線を追求するのは得策ではない。どうすればいいのか? プレミアム化するしかない。 現在ヒットしている食品は、少し高めの牛乳や豆腐など。実際に食べてみて、たしかに少し違いが実感できる食品が売れている。ニーズもいくつかのパターンをもっていて、TPOに応じて利用されているのだ。 食品で一般的に重要だといわれているポイントは、まず味、そして安全性、健康、低カロリー、特保などがある。これらの付加価値がある場合とない場合で、どのくらい多く支払うか? を調査すると、低カロリーは支払う金額が低いことがわかる。つまり、すでに当然の価値となっているから、低カロリーという付加価値でプレミアム化することはできない。特保も、意外と支払う金額が少ない。 PBでも一定の品質は維持されているから、PBで満たせるような当たり前の品質を訴求しても全く意味のないこと。より多く支払う価値のある品質は何か? を追求しなければ、プレミアム化は難しいのである。
とはいえ、最近はプレミアムという言葉自体に意味がなくなりつつある。質が違ってきたとも言える。もともと低価格の商品にほんの少し付加価値を足してプレミアムと名付けて高く売るのは成功しないだろう。 消費者は商品購入の際に内的参照価格を常に頭に置いている。そして、その内的参照価格はひとつではなく、ブランドによって変わる。腕時計を例にとれば、ロレックスであれば高価であると知っているから、内的参照価格は高くなるし、一般的なブランドの腕時計であれば低くなる。 ただ、最近はコモディティ化した商品の低価格化が激しく、内的参照価格も下がっている。低価格ばかりに触れている人は、ロレックスに触れても内的参照価格が下がっているだろう。内的参照価格はカテゴリー化しているが、低価格化の影響で全体的な内的参照価格が下がっているのは事実である。
同じ商品群であっても、消費者はそれらを価格や機能、好き嫌いといった自分の好みなどでカテゴリー化しており、それぞれのカテゴリーに内的参照価格を設定している。 たとえば、クルマなら大きく分けて国産車と輸入車があり、さらにセダンタイプ、スポーツカー、SUVなどのカテゴリーに分かれる。トヨタ車は低価格車から高級車までラインナップしているが、低価格車が強い。トヨタはレクサス・ブランドを別に設け、高級車のカテゴリーを確立している。仮にトヨタ・ブランドで展開していたとすると、消費者は比較的低い内的参照価格のカテゴリーに入れてしまう可能性が高く、その場合、レクサスで扱っているような高級車はその価格に比べて非常に高価な印象を与え、失敗していたに違いない。 身近な食品はどうか? ガムは従来あまりカテゴリー化されていなかったが、キシリトールガムの登場でカテゴリー化が進んだ。お菓子のひとつだったガムに、歯の健康、シュガーレスという付加価値がついたことで、新しいカテゴリーを作り出し、ガムとしては多少割高でも消費者に受け入れられるようになったのである。
新しいカテゴリーを作るためには、まず消費者に与える情報をどう発信するかが重要である。 たとえばヘルシア緑茶。それまで同じようなペットボトル入りの緑茶があるなかで、ヘルシア緑茶は後発に属する。しかし、特保を取得し、30日間続けて飲むこと、中性脂肪が確実に減ることを発信することでほかの緑茶と別のカテゴリーを作ることに成功した。さらに、発売当初はコンビニで売り出し、レジ横に置く戦略をとる。ほかの緑茶よりも高価でマージンも大きいため、コンビニ側も積極的に販売に協力してくれたのである。 また、従来の形状をまったく新しく変えてしまうのも有効な手段である。 ガムの話に戻ると、キシリトールが成功したのは、それまで板状で紙に包まれたガムの形状を、タブレット型にしてボトルに入れたことが大きく関係している。長方形の板ガムに対してもっていた消費者の内的参照価格は、形状が全く変わってしまったことでわからなくなってしまった。つまり、新しい付加価値と今までにない形状をあわせ持つ別のカテゴリーを確立したことで、板ガムのカテゴリーとは競合しなくなったのだ。こうしてキシリトールは新カテゴリーの先駆的ブランドとして消費者に容易に受容された。
では発売後にカテゴリーの移動は考えられるか? これはかなり難しいと言わざるを得ない。様々な価格を高いほうから見せた場合と安いほうから見せた場合、安いほうから見せたほうが割高感は強い。最初に目にした価格の方が注目度は高く、内的参照価格に与えるインパクトが大きいからである。たとえば、ユニクロが高付加価値の商品を高く売る戦略に出てもうまくいかないだろう。低価格という最初のイメージが強すぎる。新しいブランドを立ち上げるしかない。 新製品を発売するときに、キャンペーン価格として低価格で販売することがあるが、それは絶対にやってはいけないことである。その価格が基準になってしまう。低価格のカテゴリーとして認識されたら、価格を上げることは困難なのだ。
近年は、商品サイクルの短命化という問題もある。それを避けるためには、情報の継続提示が最も重要である。どのような情報か? それはエビデンスの提示であり、実際の消費者が感じた効果を定期的に発信していくことである。もちろん、信頼できる情報提示の方法によって。 ただ、同じやり方を続けていると消費者に飽きられるから、訴求している効果の部分をさまざまな形で見せていかなければ続かないだろう。 しかし、商品サイクルが短い分、次々に新しい情報が流れ、情報過多になっているのは事実。ポリフェノールが話題になったと思ったらコラーゲンが登場し、さらに耳に新しい成分が現れる。消費者はこうした情報をだんだん整理しきれなくなってきている。 ビタミンCはすでに一般化しているが、果たして私たちが思うほど定着しているだろうか? 企業は、今さらビタミンCについて説明しなくとも消費者はわかっているだろうという前提にたっているかもしれないが、次々と押し寄せる新情報で隅に追いやられ、忘れられている可能性の方が高い。 だから、一見分かり切ったと思われている機能でも、継続的に情報提示していかなければならないということになる。
エビデンスの提示とは逆に、食品の場合は例えば特定の成分等を摂らなかった場合に陥る悪い結果の発信も効果的である。 日本は市場が成熟しているから、消費者は楽観的。マズローの欲求5段階説によれば、ピラミッドの一番下が「生理的欲求」。つまり食べていくこと。その上が「安全の欲求」、さらに上が「親和の欲求」(集団帰属)、その上に「自我の欲求」(認知欲求)とあり、頂上に「自己実現」がある。 日本では安全までは満たされていて、さらに認知や自己実現の段階にあるから、楽観的になっているのである。だから、健康機能の訴求に飛びついたとしても、それほど真剣に考えていないから長続きしない。 そのため、たとえば「これを摂っていないとこんなに悪いことが起こる」といった少しネガティブな情報提示が必要なのである。その結果楽観性が下がり、真剣さが増してくる。そうすれば、機能性食品はコモディティ化から外すことができるというわけだ。
また、満足と価格の関係性は低いことがわかっている。つまり「安いから買った」は製品の満足度にはさほど貢献しないのだ。そこで、今重視されているのが感情に関わる体験。エクスペリエンスである。これを非常に高めておけば、より強く長く記憶に残る満足が持続する。 購入時にいい思いをさせるのも大切。だから、接客は非常に重要な要素だと言える。 食品もコミュニケーション性は高い。行列ができるラーメン店や、1日何個限定のケーキなど、メディアで報道されれば、自分も食べたくなる。 クルマは自分のイメージを表現したり、所有していることの優越感があるから非同調性があるが、食品は話題になっているものを自分も食べたいという同調性が働く。だから、みんなで楽しむという同調性をもったコミュニケーションの部分を作り出せれば、新しい展開ができるかもしれない。
※本記事は取材を元に作成。
白井美由里